優雅と格調と美しい
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流祖

売茶翁高遊外
売茶翁高遊外

売茶翁高遊外

売茶翁高遊外 延宝2年(1675)~宝暦13年(1763)

煎茶の祖(中興の祖)
佐賀市の人で黄檗僧となり、諸国行脚ののち、竜津寺に住す。
57才京に上り売茶生活を営み、61才東山に通仙亭を開さ、81才僊窠を焼き茶店を閉じ、89才京都岡崎の幻々庵に寂す。
売茶翁高遊外は、江戸時代中期におけるわが国の煎茶の代表的な人物で、幅広い趣味生活を送った人でもある。
翁の売茶生活の方法は、移動茶店とでもい うべきもので、自分の力で担える程度の煎茶道具をになって、洛中洛外の佳勝の地を選び、季節に応じてあちらこちらに茶具を運んで、茶を煎じて売ったのであった。
これらの茶具は、翁と交友厚かった木村蒹葭堂がその姿を描写した。それがこれである。
のち、翁没後六十年の文政六年(一八二三 年)に、蒹葭堂の後嗣木村孔陽が、この図を青木夙夜に改写させ、一帖の図譜にまとめて刊行した。

八橋売茶翁
八橋売茶翁

八橋売茶翁

流祖 八橋売茶翁方巌曇煕 宝暦10年(1760)~文政11年(1828)

宝暦10年九州福岡の笠原家で生まれ、27歳で上京。
仙崖和尚、妙心寺の月船禅師について参禅し、売茶流煎茶の奥義を相国寺の大典禅師から伝授された。
のち江戸に出て梅谷に居を構え、かたわら茶店を開いて通行人に茶を施した。
46歳、江戸をあとに旅に出、八橋で在原寺を再興、ついで無量寿寺を再建した。
文政9年(1826)には北陸を行脚し、越後を経て江戸に入り、紀州藩江戸邸に伺候。
まもなく病のため八橋に帰って無量寿寺で遷化した。
享年69歳。

家元

初代友仙窟
初代友仙窟

初代友仙窟

無量寿寺の紹温禅師について印可をうけ、師の転住のあと家元を継ぎ、文人墨客と交友し、煎茶式の基を確立した。

二代友松
二代友松

二代友松

昭和12年友仙窟を継ぎ、戦争と戦災の中、煎茶を守り、混乱の昭和21年稽古を復活し、昭和31年全日本煎茶道連盟の設立など普及に努々した。

三代友正
三代友正

三代友正

昭和41年家元継承、戦災焼失の浄元寺伽藍を再建し、昭和55年秋、念願の売茶堂を建立した。
煎茶の大衆化とともに着実に流勢をのばし、他に類をみない 『売茶流煎茶式』 を完成し、点前を公開して教授法が飛躍的に発展した。
三代友正は、点前を茶葉と具列と湯温や湯量による賣茶流煎茶式を制定し、誰でも間違 いなく煎茶を楽しむことのできる煎茶式(法)に基ずく指導法を統一しました。
また、全国に十の支部を結成し、当流の大きな発展の礎を築きました。
また、煎茶文化の研究にも 熱心で、月刊誌 「煎茶道」 の連載も117回を数え、斯界でも数少ない学者宗匠として挑戦してまいりました。

四代高取友仙窟
四代友芳

四代友芳

高取友芳(芳樹)
平成12年四代家元継承。伊勢神宮献茶、友仙窟開創90周年記念式典、茶の湯文化学会10周年、「煎茶とやきもの」(愛知県陶磁資料館)、「煎茶の世界」(安城市歴史博物館)などを行う。